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四季のうつろいを詠む   俳句の力

令和元年(2019)5月16日、17日  16日、17日の二日にわたり、NHK学園生涯学習フェスティバルが鎌倉芸術館 小ホールで開催されました。16日は「鎌倉市短歌大会」、17日は「鎌倉市俳句大 会」で、いずれも400人を越す方達が全国から集まりました。そして日頃短歌に親 しむ方達と俳句を愛する方達に分かれて、それぞれの一日を楽しみました。 このフェスティバルは全国各地で開催されていますが、鎌倉市での開催は今回が初め てです。この短歌大会に寄せられた作品数は、自由題、題詠「山」をあわせて292 2首、そして俳句大会に寄せられた作品数は、自由題、題詠「山」あわせて6122 句に上り、いずれも日々の生活の中での心の動きを表す手法として、お一人お一人に しっかり浸透している短歌であり、俳句であることがわかります。そして、さらにど ちらも大会大賞として選ばれた3作品は、各地で開催される大会の大賞作品とともに 令和元年度の文部科学大臣賞候補作品となるわけですから、日々の精進の賜として、 大きな励みになることは間違いありません。 私は、短歌についてのお話をじっくり聞くのは初めてでした。歌人であり、瑞泉寺の 住職でおられる大下一真氏と歌人の永田和宏氏の対談は、とても興味深いものでし た。瑞泉寺は私が生まれ育った二階堂の寺で、私の子どもころの大切な場所でした。 今でも毎年必ず、山崎方代の『方代忌』で9月に訪れるので、住職の話の中に出てく る瑞泉寺の自然はすぐ目に浮かび、一層楽しい気持ちで聞くことができたというとこ ろがあります。そして大下氏の明るい話しぶりも対談にメリハリを齎していたように 感じます。永田氏のお話は、今は亡き奥様で歌人の河野裕子さんとの思い出、そして 3歳の時に失くされたお母様への思いの部分は、しみじみとしたもので、そうしたこ とが根にあって歌に表れているものがあることを知ることができました。年頭に行わ れる宮中での歌会始に発表される歌の選者をされる永田氏の今年の美智子様の御歌 『今しばし生きなむと思う寂光に園の薔薇のみな美しく』の解釈を聞いて、改めて美 智子様の深い境地に吸い込まれていくようでした。 総論としては、季節と季節の間、季節から季節に移っていく間に感じる季節感、そし てその季節が齎す慶び、けな気に生きようとする生きとし生けるもの全てを愛おしく 思うことで、自然の中に自分がいて、自然の一部となって肌を接している慶びを歌 い、決して四季を理屈づけしてはいけない、ということだということだと解釈しまし た。 そこに結句は言い過ぎてはいけない、結句で決めようとしなくていい、という ことなのか、とぼんやりですが、理解できました。 俳句については、星野椿さん、星野高士さん、そして宇多喜代子さんの三人の対談で した。椿さん、高士さん親子の間に宇多さんを挟んで行われた対談は、笑う場面も多 いやり取りが続きました。風土・地だまが俳句に力を与え、人の心を感じる句に惹か れるのは、言霊がその句にあるからであり、良い季題に廻り合うことが俳人にとって 幸せであること。四六時中、三百六十五日、俳句のことを考えておられるという ことで、短歌についてもそうですが、五感を通して常に言葉を紡ぐことに慶びを持っ て毎日を過ごされているのが、歌人にとっても俳人にとっても幸せなことなのだとい うことがよく分かりました。  さらに、宇多さんの話の中で、俳句の未来への行く末を想像する内容がありまし た。それは、AI時代が来た時の俳句についてです。言ってみれば、今日の対談者は 皆昭和の句であり、自分の足で歩いて、手で何から何までやってきた者の句。すでに パソコンやスマホが普及している現代、これまで対面して、あれこれお互いに評価し 合い、切磋琢磨して俳句を作ってきたけれど、人口頭脳で俳句をつくるようになる時 代がくるのだろうか、きっと全く無縁ではないであろうということでした。あれをあ そこを入れ替えて、なんていうことが簡単に人口頭脳にできるだろうか、と問いかけ ながら、話の最後には、きっと人口頭脳も大したことはないだろう、と締めくくられ ました。少し笑いながら。 何がおっしゃりたいか、よくわかりました。 人口頭脳が季節感を風土をそして地だ まをどれだけ感じることができるだろう、という、人口頭脳への挑戦的な言葉に言霊 を感じました。力強く。それは、きっと短歌についても同じです。 季節を捉える、うつろう現象を見逃さない。。。日本の文化。。。言霊。。。言葉に ついて考える二日間でした。 短歌、そして俳句を愛し、嗜む年齢幅はどちらもとても広く、下は10歳代から上は100歳代までです。こんなにも多くの人達が言葉を紡ぐことを大切にしていることを改めて知りました。短歌か俳句か、どちらかを好むところは二手に分かれるものの、時代が移り変わるとともに言葉も変わっていくと思いますが、これからも変化をしながら、でも日本人の心を表す大切な日本の文化として続いていき、また鎌倉には、短歌や俳句の材料が豊富であることも改めて知り、鎌倉の文化としてもこれまで以上に大切にしていかなげればと強く心に刻んだ大会でした。



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