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平成30年度 湘南地方市議会議長会議員研修会 相馬市長 立谷秀清氏講演 『震災復興は義理と人情』

平成30(2018)年11月1日  今年湘南地方議会議長会研修会は、小田原市尊徳記念館で開催されました。南足柄市、小田原市、平塚市、茅ヶ崎市、藤沢市、鎌倉市の6市の市議が研修会に参加することになっています。鎌倉市議会からは、14人の参加でした。  講演は、相馬市長 立谷秀清氏、演題は『震災復興は義理と人情』。    研修会の開催市小田原市と相馬市は、二宮尊徳の報徳思想で繋がっています。相馬中村藩士の冨田高慶(1814年〜1890年)が、二宮尊徳に入門し、学び、相馬に持ち帰り、『御仕法』として取り入れ、天明の飢饉からなかなか復興しない藩の財政を復興に導いたという歴史があります。藩を救ったこの法は今も深く相馬に息づいており、現代に至っては、災害協定を組む等の関係が保たれています。  相馬市は人口は36,000人から37,000人。明治以降、津波で人が亡くなるということがなかった相馬市は、歴史をさかのぼると、400年前にあったという記録があることがわかった。 災害対策の基本は、次の死者を出さない、ということを心がけるということが大原則である。  大地震が起きた時、消防団に市民を高台に避難誘導するよう指示をした。海岸から4キロ地点まで波が入った。37,000人の人口のうち5,400人が津波被災人口。消防団員の尽力で死者は458人に。しかし、そのうち10人が消防団員であった。津波に対しては、堤防を造ってもだめ、逃げるが勝ち。  10人の消防団員を含む消防団員が頑張ってくれたからこそ、5,000人の市民が助かった。消防団員の子ども達を含む保護者を亡くした子ども達51人にたいして、18歳になるまで月々30,000円の仕送りをするための条例をつくると同時に、世界中に寄付を求めた。自らも講演をして歩き、2年間で求める金額は集まり、講座を閉じた。  地震で亡くなった人は一人であった。  倒壊しそうな市庁舎でも、被災後は市庁舎が中心となって対策が進められるので、市職員全員にヘルメットを配って、次々と入る情報や日々対策に追われることになる。住民基本台帳を使って一人一人の生存を確認し、同時に仮設住宅を建てることになる。仮設住宅は県が建てるのだが、土地は市が探す。  市庁舎は、大規模災害の時には、市民の母屋の役目を果たす。支援物資が届くようになるので、廊下を広くとることが重要。そうしたことを盛り込んだ市庁舎はやっと2年前に新設した。  原発の爆発の風評被害で物流が止まってしまったことは非常に困った。薬が来なくなった。逆に取りに行った。  避難所生活が始まってから、災害関係死あるいは経済死がおこらないように、全国弁護士会や日本弁護士会に依頼して無料相談を7年半続けた。お陰で自殺者はゼロという結果を得ている。  支援ボランティアは、系統的に仕事を分けて、保険加入と登録を義務付けることで整理した。  避難所の炊き出しには限界があるので、朝と夜は学校の給食を使い、昼は必要に応じて仕出し弁当で対応した。  仮設住宅は、1,500戸建て、4,000人が入居した。戸長、組長の組織をつくり、系統だって運営をおこなった。孤独死を出さないように、1食に2つおかずつけた。仮設にリヤカーで生活必需品を販売にまわった。  PTSD対策を子ども達に『教育復興支援金』を使った。ルイ・ヴィトンの協力で、子ども達に『寺子屋事業』もおこなった。  一人暮らしの老人が99人発生した。孤独死をつくらないように長屋を建て、食堂や洗濯機等を共同使用にした。月一回、医師が顔を見て健康状態を確認した。  放射線量が上がったら、皆を連れて逃げる、と市長として宣言した。1つの学校に50カ所の計測器を置き、線量を調べ、今も毎月行っている。    予想通りに災害がおこることはないと考えるが、災害が起きた時には市役所は全員野球で、色々な人が知恵を出し、その知恵を集めて、頭を捻って、脳みそに汗をかく。対策会議は、そうやって朝と晩に2回開き、対策会議を繰り返していくうちに、どうすればよいかが鮮明になっていく。そして結論が出る。勝手にばらばらやることない。余計なことをしなくていい、報告をまとめて、指示を出すのが市長の役目である。  義理と人情とは、助け、助けられ、その際には礼を尽くし、報徳思想があふれた地域だからこそ、さらに多くの絆が深まったと考えている。  防災訓練は、『図上訓練』を行うことが重要。全く知らない情報を流して、その情報を下に、災害担当者の訓練を行う。東日本大震災がおこる前に2回行っていた。  立谷市長は、10人の消防団員が命を落とした現場に一人で立ち「彼らは一体、その時、何を考えただろうか。きっと残る子ども達に強く生きてもらいたい、と思っただろう。強く生きるためには、親が子にしてやることは何だろうか。それはやはり教育だろう。高校を出るまで、または大学に進学を希望する子どもには、大学進学まで、月々の支給をしよう。」と考えたそうです。  市長の消防団員への深い感謝の気持ちが心が痛くなるほど伝わりました。  講演の内容を印象に残った限りを書き並べました。    一言では言えない程、とても学ぶことの多い講演でした。





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