平成最後の鶴岡八幡宮の例大祭

平成30(2018)年9月14日〜15日  秋の大祭、鶴岡八幡宮のお祭りが始まりました。14日の宵宮から15日の例大祭、そしてそれぞれの夜の神輿巡行。いずれも雨に悩まされながらの斉衡でした。    いつもは暑さとの我慢比べになる例大祭も、今年は時折冷たい風が本殿を吹き抜けて、いつもとは違う涼しい例大祭となりました。祝詞に合わせて鈴虫の声が響き、なんとも風情を感じる例大祭でした。  平成時代最後の鶴岡八幡宮のお祭りが雨に見舞われたことは、後にきっと印象付けとして、良い思い出になることでしょう。







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子ども大学かまくら 第3回定例授業 『海辺の美術館に遊びに行こう』

平成30(2018)年9月8日  子ども大学かまくらの第3回定例授業でした。    講師は、葉山の神奈川県立近代美術館長 水沢勉氏、演題は『海辺の美術館に遊びに行こう』。  ほんの一週間前に、鎌倉の旧県立近代美術館についてを鶴岡八幡宮の吉田茂穂宮司の講演をきいたばかりです。  今日の葉山の県立美術館長の講演は、一週間前の内容と重なったり、また閉館後の話しとして繋がり、偶然とはいえ、とても不思議な気持ちで聞いていました。  講演は、やはり1951年に鎌倉の神奈川県立近代美術館ができた経緯から始まりました。敗戦を迎えた日本が元気になるためには、文化を大切にすること、文化を復興させることであるとして建てられた鎌倉の県立近代美術館。  鎌倉は、近代と現代がブレンディングした不思議な町だと水沢館長。その町に近代美術館が建ち、その館の中庭にイサム・ノグチ作の『こけし(男女2体)』が置かれたのです。ノグチ氏は、父がアメリカ人、母が日本人。近代美術館が鎌倉にできた1951年の同じ年に、ノグチ氏は、山口淑子(李香蘭)と結婚(二人は北鎌倉の山ノ内で結婚生活をしていた)し、二人をコケシに見立てた作品で、結婚の記念に作られた物。アメリカ人と日本人を繋げることを一生深く念願した作家の作品でもある。  『コケシ』は、鎌倉の近代美術館が閉館したのを機に、葉山へ引っ越して、新たな空間に溶け込んでおり、他にも彫刻が幾つか引っ越してきており、大きな影響を葉山に与えているそうです。彫刻は、置かれた場所や見る向きによって見え方違い、絵画とはまた違う楽しみ方があります。  ここで、もし美術関係の仕事をしたい人は、その場で、作品をスケッチし、その場でなくても自分が好きだった作品を自宅に戻ってから思い出しながら描いてみることが後に役に立っていくそうです。どんな場所にその作品は飾られ、それを照らす照明は・・・作家の名前、作品の名前を記しておくとよいそうです。スマホで撮っておいても忘れてしまうけれど、絵に描いておけば忘れることはないので、記録しておくことが大切ということです。  2016年には、葉山の美術館からすぐのところにある日本画家山口蓬春のアトリエが記念館となったために、美術を楽しむ場所が葉山にもう一つ増えました。美術館の建て物からスロープを下りるようにして遊歩道があり、海を見ながら一周することで、先ほどの彫刻を楽しみ、山口蓬春のアトリエにまで足を延ばすことができるトレイルになっているようです。  講演の最後に、水飲み場のエピソードを話して下さり、印象的でした。葉山の美術館についての小学生の感想文に、沢山歩きながら作品を観ることができるのはとても楽しかったけれど、喉が渇いてしまって、水飲み場がない、というコメントがあったそうです。  そこで、イタリア人作家に水飲み場を作っている人がいることを探し出し、作品を依頼したところ、その作品が葉山にやってきて、実際に今水飲み場として活躍しているそうです。  海の見える公立の美術館は、世界でデンマークのルイジアナ美術館と葉山だけだそうです。2016年の鎌倉の近代美術館の閉館によって、幾つもの彫刻が葉山に仲間入りすることで、新な息吹を齎したようです。久しぶりに葉山の美術館に行きたくなりました。美術館から目の前に美しく広がる海と空を見渡し、鎌倉から葉山に引っ越しをした『コケシ』に会いに。イタリアから来た水飲み場で水も飲んでみたい。庭に置かれた大きな石の彫刻に座ってみたい。 そんなことを考えてワクワクする授業でした。
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9月議会定例会が始まりました。一般質問をさせて頂きました。

平成30(2018)年9月5日  9月議会定例会が始まりました。今議会は、決算委員会も一般質問、常任委員会、加えて決算特別委員会も開かれます。  今議会も一般質問をさせて頂きました。順番は4番目でした。初日に私の順番がくるのは久しぶりのことです。  項目は2つになりました。  1つ目の項目は、『法定雇用率の水増し問題』についての質問です。  中央省庁が雇用する障害者数を水増ししていた問題がマスコミで大きく取り上げられ、地方自治体にも波及して水増しや不適正な積算をしていた数が増えつつあり、連日のように報道されている状況です。「鎌倉では水増しはなかった」という市長の定例記者会見での報告もありましたが、障害者の雇用については、これまでも多くの質問してきた立場から再度確認の質問です。  鎌倉市は、雇用率は達成できていますが、引き続き努力をして頂き、特に新規採用者からの比率が増えていくように努力して頂きたいと思います。「新規採用の時点で障害者手帳を確認し、雇用率に算入することの了解と障害の状態に変更があった場合等の手続きの周知、把握確認した情報を毎年利用することへの予めの同意を得る」ことができていることが大切です。また、一方で、障害者2,000人雇用を目指す市として、単に雇用率をクリアするだけでなく、障害のある方の働く場を、そして機会を増やしていくことこそ重要であり、そうした取り組みによってさらに上の数値を目指すことを求めます。鎌倉市では、8月6日に「鎌倉テレワークライフスタイル研究会」の準備会が開催されました。職場に出勤しなくても働くことができるテレワークは、障害ある方の働く場を広げることにも繋がりますので、研究が進むことを期待しています。  2つ目の項目は、『終活』についての質問です。  平成30年、8月1日から高齢者いきき課で「エンデイング・ノート」6,500部の配布を始めました。そのことは、タウンニュースに等で周知が諮られていますが、配布されて、実際に書き込み、その先をどのようにこのノートを活かせばよいか、という方法について市がどのように考えているかがよく分からないことから、幾つかの提案をしました。   そして、来年度、平成31年に市が始めようとしている 「エンデイングプラン・サポート事業」についてもどのような計画かということを確認しました。この事業は、特に『身元がわかっていても死をみとられても、遺骨の引き取り手がないケースが急増している』という現象が起こり始めている中で、65歳以上で、一人暮しで身寄りのない、所得や資産が一定の制限以下の方を対象に市が行う政策です。  さらに、『終活情報登録伝達事業』の取り組みを提案しました。この事業は、高齢者に限ることなく、誰もが『終括』を考るた場合、いざという時に伝えたいことを伝えるものです。是非、鎌倉市も取り組んで欲しいと考えている事業です。  エンデイング・ノートを書いて、その後の方策として、9月中に職員のエンデイング・ノートに関する研修会を開催、10月12日には一般の方を対象に鎌倉生涯学習センターでセミナーを開催、今回エンデイング・ノート6,500部のうち3,500部がみらいふる鎌倉の老人クラブの方達に配られていることから、その皆さん対象に、今年度中にセミナーを開催することになりました。 民生委員さんや地域包括の方達にも知って頂きたことなので、そうした皆さんにも講座を開いて、あるいは10月のセミナー等に声をかけて参加して頂く等、行政からのアプローチが必要になることを提案しています。   「エンデイングプラン・サポート事業」も、「終活情報登録伝達事業」も横須賀市ではすでに始めており、進んでいます。  そこで、横須賀市でこの事業を手掛けられた福祉部次長で、自立支援担当課長の北見万幸さんを8月の半ばにお訪ねし、これらの事業に取り組むことになった経緯や課題、そして成果を教えて頂きました。大変学ぶことの多い有意義な時間になりました。  教えて頂いたことを参考に、鎌倉での進め方を考える一般質問としました。





maekawa-ayako * - * 23:58 * - * - * - -

鎌倉の旧県立美術館の建て物の未来を鶴岡八幡宮吉田宮司が話して下さいました。

平成30(2018)年9月2日  鶴岡八幡宮の境内に1951年、昭和26年に神奈川県立近代美術館が開館しました。 そして、2016年、平成28年の1月に閉館されました。神奈川県から鶴岡八幡宮に返された建て物は、壊されることはなく、残されて、さらに来年、2019年、平成31年の春に「鎌倉文化館・史の花」という名前が付けられて生まれ変わり、開館される予定になっています。  これからの旧県立近代美術館の建て物の未来について吉田茂穂宮司様からお話しを聞く会が、午後2時から直会殿でありました。  当時の建築士坂倉順三氏によって設計された本館の建て物が壊されることなく残されることになったのは、鶴岡八幡宮の強い想いとそれに答えた神奈川県の努力の賜であることに、まずは感謝をし たいとおもいます。  そして、終戦後間もない混乱の時期に美術館が、それも公立の美術館が建設されるに至った経緯は戦時中から語る必要があり、そのことは八幡宮に残された記録から紐解かれ、吉田宮司の言葉でお話しくださいました。  鶴岡八幡宮は、『武』の神様です。戦争中には、お参りをして戦地に赴く人が多い神社であった。昭和20年3月10日に東京大空襲があり、B29による波状攻撃で東京は大火災に見舞われ、鎌倉からでも東京方面の空が真っ赤に染まるのが見えた。そして、5月23日には、小型戦闘機が十二所方面から飛んで来て、焼夷弾を落とすという事件があった。  5月29日には、横浜大空襲があった。多くの府県には、戦死者を祀った護国神社があるが、神奈川県にはなく、横浜の三つ沢に建てることを計画し、鶴岡八幡宮からも神職が行き来して護国神社の建設に切磋琢磨している最中に横浜大空襲は起こり、大火災に建て物はのみ込まれてしまった。御霊を入れる前のことだった。戦後、再興する力はなく、結局護国神社は、県下に存在しないままである。  7月10日、小型機が十数機、鎌倉に到来した。八幡宮境内は被害なし、となっていたが、後に本殿の屋根の銅板をふき替えた際に本殿の屋根に機銃掃射が通り、焼夷弾の跡がのこっていた。幸い建て物自体に被害はなかった。(このことについては、吉田宮司のお話しを聞いていた方のお一人から教えて頂いたのですが、「鎌倉には空襲はなかったことになっている。古い都だからアメリカ軍お文化を尊重して爆弾を落とさなかったのだ、という話しが戦後信じられたが、飛行機は横須賀と東京の間で通りがかりに機銃掃射してみたり、焼夷弾をおとして家を焼くことにためらいはなかった。パイロットも楽しみが必要だったのかもしれない。それでも、疎開しなければならないほどひどくはなかった。」という記述が、高橋悠治著『きっかけの音楽』の「しずかな敗戦」という章にあるそうです。因みに、高橋悠治氏のお父様は浄明寺町内会の会長を務められた方のようです。本殿の屋根に弾の跡が残っていたということを証明する記述と思われます。)  8月15日には、天皇陛下の『玉音放送』があり、同日にマッカーサーが、愛機パターン機で厚木に降り立ち、定宿にしていた横浜のニューグランドホテルは向かう途中で、鶴岡八幡宮に立ち寄っている。それから間もなく、現在の第一生命ビルがある所がマッカーサーの執務室(GHQ)になった。  9月2日、ミズリー号の艦上で、「降伏文書」の調印が行われ、その後すぐに幕僚12名を従えて、マッカーサーは、鶴岡八幡宮を訪れている。その際は、楼門で全員靴を脱ぎ、お参りをして、破魔矢を12本買い求めた。当時の宮司、斎田氏宮司は、マッカーサーの急な参拝に気がつき、社務所によるように促したが、後日の訪問を約束して、帰って行った。その時にマッカーサーは 斎田宮司に「私は(明治30年代に)、新婚旅行でこの八幡宮に来ている、その頃あなたはまだ子どもだったね。」と話した。それは、日本でのマッカーサーのプライベートな行動の記録は全く残されていない中で、唯一に等しいプライベートが明かされた。  9月25日に、斎田宮司と約束した通り、マッカーサーは、妻を伴って鶴岡八幡宮を訪れた。  10月28日、鶴岡八幡宮内の白旗神社で執り行われる『文墨祭(源実朝公のお祭り)』に連合軍の将校等200人が参列した。比較的地味なお祭りであるため、普段からするとあり得ない多くの人数である。  国と神社の繋がりを嫌うGHQは、この繋がりを切ろうとする政策の中にあり、12月28日には、宗教法が発布され、村の鎮守までが、一宗教法人として生きることになった時代である。  マッカーサーは、武人であり、源頼朝に対する信仰がマッカーサーにあったのかもしれない、だから何度も鶴岡八幡宮をマッカーサーは訪れたのだ、と吉田宮司は理解されているそうです。 きっとそうなのだろう、と私も思います。  こうしたことが、昭和20年終戦前後の鶴岡八幡宮の記録に残されており、当時の背景を読みとることができます。そしてこの記録は、神奈川県で公立の美術館が建設されるに至る背景でもあったのです。  当時の神奈川県知事である内山氏は、敗戦を迎え、戦後の県民達のふさぎこみ、精神的にがっくりしている様子を見て、何とか元気にしなくてはならない、それには文化を復興させることが必要と考え美術館の建設を計画されたのです。建設場所には、横浜も候補に挙がりましたが、最終的には、鎌倉に建設することとなり、当時破魔矢をつくる作業所が適当となり、建設されたのです。  美術館としては、当時の経済状況から、決してゴージャスではなく、低コストを念頭に建てられており、設計は、坂倉順三氏によるものです。 2000年、平成12年のミレニアムに、吉田宮司は、ストラスブールを訪れ、御神楽を奉納されました。その時の通訳者が坂倉順三氏の姪子さん、グレ・クニコさんだったそうです。グレさんは鎌倉に美術館を建てる際には、幾度も叔父である坂倉氏と訪れ、低コストで建設するために、折れた釘でさえ大切に使って、苦労して建て物であることを目のあたりにしてこられたことを宮司に告げられ、もしも美術館の建て物をどうするという話が持ち上がった際には、是非、建て物を残して欲しいと直訴に近い、お願いをされたそうです。  吉田宮司の記憶に強く留められた言葉だったそうです。  後に、旧近代美術館を廻り、神奈川県とのやりとりが始まった時には、すでに宮司の頭の中では、「建て物は残す」という気持ちが固まっておられ、学芸員達や職員達と話し合って、さまざまな力が結集して残す方向へと進むことができたことを感謝の言葉と共に話されました。  吉田宮司ご自身も学生時代に、絵がお好きで美術館の企画展によく通われたという感情があったことも大切な要素だったようです。実際に、毎年干支の動物達を絵馬に宮司様自筆で描かれ等、美術に対して大変造詣が深い方でもあることは、忘れてはなりません。    3館ある建て物を整理する中で、「新館」と呼ばれていた建て物は、既に取り壊されました。そして本館は、先ほどのお話しにもあるように物資が乏しい時代の物なので、耐震、バリアフリーが課題となっている現状で、強度を高める工事を施してくださっています。  そして、新たにミュージアムショップを含む付属棟が建てられることになり、その地鎮祭が、今日行われているそうです。偶然ですが、会が開かれるのも良いタイミングでした。  来年の春にグランドオープンする際には、『鎌倉文化館・史の花』という名前を予定されているということは先ほども書きましたが、その名前の通り、鎌倉の古代から中世までの時代を捉えて紹介したり、鎌倉ゆかりの文学者や芸術家の足跡の紹介、そして、鎌倉文化館そのものについては、鎌倉の美しさを映像を使って鎌倉で生きる、目で見る、耳で聞く、といった形で紹介することを考えておられます。    中でも注目したいのは、「鎌倉に祈る、祈り場のきっかけとして、映像で、鶴岡八幡宮を取り巻く周囲の神社・仏閣を映像を利用する等しながら案内し、その映像を見た後は、実際に自分の足で映像等で案内された場所を訪れる、という『エコ・ミュージアム』の考え方に近いことをされようとしていることです。   鶴岡八幡宮で昭和13年から始められた雪洞祭りの作品が毎年400点程収蔵されており、その展示も予定されているそうです。雪洞の絵や書は、その時代ごとの背景を表していることもあり、大変興味深い展示となるようです。  この館は、単なる貸し会場として使用されることは文化庁からの許可はおりないそうです。それはもちろんの事と思います。   うかがった事を一字一句という訳にはいきませんが、新しく知ることが多く、一生懸命記録し、記憶に留めました。  敗戦後の落ち込んでしまった人々の心を元気にする、という役目を充分に果たした旧近代美術館の建て物。  この建てものが残されて、また新しい役目をもつことになるのは、当然ではなくて、ずっと積みかさねてきたところから生まれた幸運であるということを言い添えたい気持ちです。  
maekawa-ayako * - * 23:55 * - * - * - -

十二所神社のお祭り 宵宮と例大祭

平成30(2018)年9月1日〜2日  夕方5時半から、十二所神社のお祭りの宵宮が始まりました。  心配した雨も止みました。  プログラムは進み、今年も『篠笛演奏』で参加しました。今年は、自分としてはかなり高音もでるようになり、嬉しい進歩です。  『赤とんぼ』、『こきりこ』『かごめ』『竹田のこもりうた』『たとえばやし』、そして『荒城の月』をアンコールで吹きました。今年は笛仲間も増えて、賑やかになりました。  十二所神社の宵宮の醍醐味の一つは、神社の境内を神輿が甚句に合わせて練り回る場面です。決して広くない境内ですが、本殿の前から祭りのために建てた舞台の前までを行ったり来たり、ぐるっとまわったり、と威勢の良い見せ場です。担ぐ人にとっても、それを見る人にとっても楽しみなひと時です。  雨もなく、皆一つになって、甚句に合わせて体を揺らし、神輿の動きを見守りました。 翌2日は、午前10時から本殿で例大祭に参列しました。雨が降って、気温が低く、急に秋を思わせます。  例大祭の後は、いつも公会堂に移動して、直会いを十二所の皆さんとご一緒させていただきます。毎年の楽しみは、里芋や牛蒡、人参や昆布等のお煮しめや煮豆、鶏のから揚げといったすべて手作りで御もてなし頂きます。十二所の婦人部の方達が心を込めて作ってくださる数々の品々です。牛蒡は前の日に煮て、さらにまた当日煮ることでじっくり煮しめたものと聞きました。しっかり味が染みた優しい日本の味がここにあります。  『結』という言葉がぴったりの十二所の町の結束は、いつも羨ましいと感じる程です。いざという時に力を合わせてまとまっている様子を肌で感じることができます。その雰囲気に混ぜて頂く喜びが、十二所神社のお祭りにはいつもいつもあります。  今年は、昔から十二所に住む先祖が光則寺の境内にあった十二所神社を現在の場所に移してから180年ということです。そうした先人の熱い思いが今に繋がり、大切に神社を守る地元の人達の使命感のようなものが、今の十二所を一つにまとめようとする力になっているように感じます。  雨と雨の間をぬう様に、宵宮が行われ、翌日の例大祭に続く直会いの後の神輿渡御もやはり雨が止み、これは神様のご加護と感謝して、十二所神社のお祭りは執り行われました。











maekawa-ayako * - * 13:24 * - * - * - -

方代忌 第32回方代忌 瑞泉寺にて

平成30(2018)年9月1日  いつもは、暑さとの戦いと言ったところがある瑞泉寺での『方代忌』ですが、今日は比較的涼しくて、空はどんよりしています。方代忌の間には、雨が降ったり止んだり、陽が射したりと、天気が目まぐるしく変わります。  基調講演は、『コスモス』の編集者、桑原正紀氏。  演題は、『方代と柊二』。柊二とは、宮柊二氏のこと。  この二人は、尊敬し合う仲ではあるが、濃密ではなく、生活ぶりも全く違います。共通するのは戦争体験があり、方代は昭和16年に、柊二は、昭和14年に応召しています。戦後の再出発の中で、二人は、それぞれの孤独感や生の捉え方を歌に表しており、そうした歌の紹介と解説は大変興味深いものでした。  毎年、短歌を通して方代さんを知り、私の中ではますます親しみを感じるようになっています。  それにしても、どうして『方代』と名を付けたのでしょうか。 .。。。し方代でしょうか。









maekawa-ayako * - * 08:08 * - * - * - -

地方議員のための政策力向上セミナーin東京で

平成30(2018)年8月27日  暑い一日でした。  東京法令出版主催の『地方議員のための政策力向上セミナーin東京』が浜松町のWTCコンファレンスセンター38階の会議室で開催され、実際に取り組んだ議員としての発表をするために出席しました。平成24年に鎌倉市議会で『鎌倉市自転車の安全利用を促進する条例』を策定し、条例を立案しようと中心となって動いたのが議員同期の4人(納所輝次議員、山田直人議員、久坂くにえ議員そして私、前川綾子)であったこと等をこれまでにもブログで幾度も書かせて頂いています。  今回のこのセミナー出席は、『鎌倉市自転車の・・・・・条例』をつくる中で多くのアドバイスを頂いた牧瀬稔先生(関東学院大学法学部地域創生学科準教授)から頂いたお話しでした。これまでにも、この条例については、同じように出前をしたり、視察を受けて説明する等、私達4人には、数回経験があり、説明のための資料やパワーポイントも作成してあります。  内容は、1講目(午前10時〜12時30分) 『実践に学ぶ 議員提案政策条例』   2項目(午後2時〜4時30分)『実践に学ぶ 議会基本条例と議会報告会』。  平成27年1月に施行された『鎌倉市議会基本条例』についても牧瀬先生のアドバイスを頂いています。この条例の策定の経過等も説明しました。  それぞれ、牧瀬先生の講義を聞いた後、私達が発表するという形です。  私達4人は分担して、パワーポイントを操作しながら、それぞれの条例づくりの経緯やそれに伴う印象に残ったこと等、参考になりそうなことを織り交ぜながら、参加者に説明をし、質問も受けました。  説明をさせて頂くことで、私達も改めて課題が見つかることもあり、とても有意義な時間を頂くことになります。私達の条例づくりを説明する前に、牧瀬先生の講義を受けることができるのもとても貴重なことです。  それぞれの条例ができて、それなりに時間が経過しています。『見直し』の時期にきていることを、先生の講義の中で気付かされました。『見直し』の大切さを先生はかなり協調されました。これから、私達は、それぞれの条例の『見直し』を提案していくことになるでしょう。『見直し』と簡単に言いますが、それはかなりの労力が必要であることも同時に先生は講義の中で指摘しておられましたので、しっかりやっていかなくてはなりません。



maekawa-ayako * - * 08:07 * - * - * - -

総合防災訓練

平成30(2018)年8月23日  山崎浄化センター広場で、午前10時から今年も「総合防災訓練」が開催されました。  湘南獣医師会によるペットと同伴での避難訓練、大船地域の自主防災組織の皆さんを中心にした土のう製作訓練、建設業協会による道路啓開規制訓練・土砂及び車両除去訓練・車両搬送訓練、電気・ガス・水道等それぞれのライフライン事業者による応急復旧訓練、また自主防災組織による給水訓練、警察・消防・消防団の地震による家屋倒壊、消火訓練の様子を見せて頂きました。  一昨年の熊本地震、今年6月の大阪地震、そして広島の土砂災害、と相次いでおこるさまざまな災害は、いつどこでおきてもおかしくないと言われています。  常に備えよ!ということですね。  東部地区に住む私達も避難所のマニュアル作りがいよいよ始まります。避難所になる学校との話し合いがマニュアル作りの大きなポイントになります。いずれは東部地区全体での避難訓練の実施を想定していますが、その前に、東部地区の各町内会役員の間で、避難所になる第二小学校での訓練を行うことを予定しています。  段ボール製のベッドの組み立て方やトイレの使い方等も大切な知識として取り入れたいと話し合っています。    今日の訓練にあったように、土のうの作り方等もとても大切です。とても力が必要な作業なので、体験しておくことは大事なことです。















maekawa-ayako * - * 23:20 * - * - * - -

鎌倉宮例大祭

平成30(2018)年8月19日~20日   来年には、創建150年という年を迎える鎌倉宮の例大祭です。  前日の境内で開催される宵宮は、日曜日ということもあっていつもより人出が多く、とても賑わいました。  二階堂の踊りの会、ニ水会の皆さんと浄明寺の盆ダンスサークルの私達が交代で櫓に上がり、宵宮の盆踊りを盛り上げるお手伝いをしました。  翌日の例大祭は、雨が時折降る天気となり、その天気の中で、式典が執り行われました。  夜の盆踊りが開催される時間ぎりぎりまで、雨が降ったり止んだりです。昨年は、確か、開催途中で稲光が激しくなり、早めに切り上げた途端に激しい雨が降った記憶があります。  そんな去年を思い出すようなはっきりしない天気です。  雨を心配しながらでしたが、鎌倉宮での盆踊りは予定通り開催され、踊りおさめることができ、今年の鎌倉宮の夏祭りが終わりました。
maekawa-ayako * - * 23:18 * - * - * - -

鎌倉市東部地区(7町内会)合同盆踊り大会

平成30(2018)年8月10日〜11日〜12日  7町内会合同で開催されるようになって今年で3年目になる『鎌倉市東部地区(7町内会)合同盆踊り大会』です。  10日当日の朝9時から各町内会の役員はじめ有志が集まって会場づくりです。  10日、11日の2日間が盆踊り大会開催、そして12日は、一斉に会場片付けです。  櫓はいつも地元の業者さんに建ててもらいますが、それ以外の櫓の飾り付けや電気の配線から、提灯付け、テント張り、机や椅子やそれぞれのブースの設え等は全て手作りです。  沢山の発電機が会場に持ち込まれ、それぞれのテントの灯りや櫓の提灯を支えます。開催中に時々、電気がとんでしまって、一瞬、盆踊りの曲が切れてしまうこともありましたが、それも手作りの良さと考えます。  踊りは、浄明寺町内会の子ども会の役員さん達と同町内のボン・ダンス・サークルの皆さん、そして二階堂町内会のニ水会の皆さんで交互に櫓に上がり、踊った曲数は10曲以上です。そのうち、子ども達向けに今年も『踊れ・どる・どら・ドラえもん』を。子ども達は大喜び。今年は、小さい子どもばかりでなく、小学校6年生の大きな子どもも櫓に上がって踊りました。これは、なかなか高学年になると、参加してくれないので、私達大人は、高学年の参加を喜びました。  そして、今年は『東京五輪音頭2020』を初公開しました。この踊りは、有志4~5人で集まって練習し、さらに子ども会の役員さん達に踊りを覚えてもらい、当日に間に合わせました。今年から東京五輪2020のその年までの3年間、この曲が盛り上がれば、とこの曲が発表された時に思いました。それを友人に相談したことで踊りの振りを覚え、実現しました。友人に感謝です。上々の出来でした。評判も良く、この曲が初めての人も多かった割には、皆乗り乗りで踊ってもらえたので、一安心しました。   各町内会が出店する食べ物や飲み物もどんどん売れて、子ども向けのゲームコーナーも行列ができる程でした。  放送している私の所に度々訪ねてきてくれる子ども達の笑顔も、「楽しい」を伝えてくれました。  合同で開催するようになってから3年目の今年の人出は数えこそしていませんが、過去最高だったと思います。全体的にとても盛り上がったお祭りになったと思います。  それぞれ個性を持つ町内会が一同に返してお祭りを開催するということは決して簡単なことではありません。お祭りをどのようにすれば楽しいものにできるかを常に皆が考えていることが必要になります。お互い尊重するけれど、協調が重要です。  またもっと言えば、単にお祭りを楽しむだけではなく、お互いに色々なことを見て、聞いて学ぶ場になることも大切です。そうしたことを合同で行う中で求められている気がしました。少し固い言い方ですが。  そして、もう一つ忘れてはいけないのは、助け合うことです。  今後、防災訓練、そして避難所のマニュアル作成もこの合同町内会で行おうと考えているところです。  (曲目は、しあわせ音頭、東京音頭、大東京音頭、鎌倉音頭、神奈川踊り、炭坑節、相馬盆唄、きよしのズンドコ節、心は360度、花火音頭、燃えろ日本の夏祭り、ダンシング・ヒーロー、バハマ・ママ、河内おとこ節、東京五輪音頭2020、踊れ・どれ・どら・ドラえもん  でした。)  









maekawa-ayako * - * 12:58 * - * - * - -
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